体験記

母の幼少期から息子が中学1年生まで

虐待を受けているとは、自分でも気づきませんでした・・・

幼少期、代表の私は夕方遅くまで外で遊んでいる活発な子どもでした。でもそれは、自宅で「殴る蹴る酷い言葉を投げつけられる夫婦喧嘩を見せられる」のが嫌だったからです。それは私が産んだ子が小学1年生になるまで続いていました。

 でも私は子どもが保育園の頃気付きました。子どもに手を振りかざした時ふと込み上げてきた感情に、「もしや私は両親と同じことをしようとしているのでは?」「それならこれは虐待なのか?」色んな思いが私の心を交差しました。私が出して結論は「これは明らかに虐待。それならばこの世代間伝達を止めなければ」でも私は自分を止めることはできても、正しい子育てなんてわかりませんでした。

 そして私は急激に具合が悪くなりました。後に診断されますが、うつ病です。原因はやはり幼少期からの両親からの関わり方にありました。口数が少なくなり、目の前のことを一生懸命することしかできませんでした。当時受けたDVやモラハラ、後に診断される息子の発達障害による育てにくさは、単なるきっかけに過ぎませんでした。

 息子が小学1年生の時、離婚、一つ上の娘はこの時に取られました。娘を最後に抱きしめた時の髪の匂いは今でも思い出せます。今から18年前です。この喪失感が追い打ちになり、後に3年の寝たきりになります。

 息子が小学4年生の春に初めて私がうつ病と診断され、子どもはADHD(発達障害)と診断されました。私はやはり複雑でした。息子は発達障害で、息子が育てにくいのは私のせいではなかったけれど、それを認めてもらったからと言って、私の娘は返ってこないと、息子と娘は関係ありませんが、思ったら絶望感でいっぱいになりました。

 赤ちゃんの頃から明らかに普通の子とは違った様相を見せる息子。

・生まれたてから頭を左右に一生懸命動かし、後頭部に大きなハゲを作りました。
・生後6ヶ月になった日、まるで「ここは僕の場所」と言わんばかりに初めて私のお膝に自分で座りました。
・1歳で歩き始めたら、足の赴くまま気の赴くまま目を離すとどこへ行くかわからないので走って付いていきました。

・悪いことをしたので「○○したらダメでしょ」というと私に振り返り顔中くしゃくしゃにしてにっこり笑い「ママ、ぼく楽しいよ」と言っているかのようで、これで指示が入らない子なのだとわかりました。
・5歳ちゃんとした発語は無く、帰宅する5時56分を(ごじゅごじゅろっぷん)、牛乳を(にゅうにゅう)
・保育園では毎日脱走をし、保育士さんが探し、園内ではかみつきとちょっかいを出すことで毎日呼び出されました。

 このような子でしたから、保育園でも小学校・中学校でも強く叱責を受けていました。相談できる所にはどこでも出掛けて行きましたが、有効な答えを得られる所はどこにもありませんでした。

つづく

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